鳥海山ー山歩き雑感ー

13、千畳ヶ原の池塘

 1982年10月上旬に撮影した千畳ヶ原の池塘です。(40年前に撮影したポジフィルムで、退色が進んでいます。)

次は、同じ池塘の最近の姿です。

 大きな変化は、池塘にミヤマホタルイが繁茂したことです。水面に映える扇子森を見れなくなりました。池塘の水深も浅くなったように思います。湿原の乾燥化は、自然の経年変化であると思うのですが、以前ここを通る道は土の道でした。木道が敷かれたのは近年になってからのことです。湿原を守るために木道は有効な手段ですが、地下水脈に何らかの変化をもたらしたような気がしてなりません。

祓川、竜ヶ原の木道周辺のカヤツリグサ

鳥海山北面の竜ヶ原では、木道周辺にカヤツリグサの繁茂しています。千畳ヶ原の二ノ滝に下る木道周辺には平地で見るようなカヤの類が増えました。

木道を横切る沢の周辺にカヤの繁茂が見られる

 年月を経て、鳥海山の自然は多くの面で変化してきました。それでも千畳ヶ原は憧れの地であることに変わりはありません。千畳ヶ原は、周囲を多くの峰々に囲まれていて行くことは簡単ではないのですが、それぞれの登山道を巡り季節を変えて訪れています。(千畳ヶ原には多くの池塘が点在していますが。登山道の近くで見ることが出来るのはここだけです。)





 

 

鳥海山ー山歩き雑感ー

12、鍋森

伏拝岳から見た冬の鍋森

 山の地形は、余計なものが雪に覆われる冬に見ると分かりやすいと言われます。山仲間が、雪に覆われた鍋森を見て「へんなの!」と言った通り、とても変わった風景だと思います。

 雪の無い季節に、四方から鍋森を見て見ます。

文珠岳から見た

鳥海湖分岐の付近で見た

幸治郎沢から見た

笙ヶ岳から見た

扇子森から見た

 鍋森は、その名の通り鍋をひっくり返したような溶岩ドームです。扇子森から見た写真を見ると、鳥海湖の隣にある可愛い小山という印象ですが、地形図を見ていて驚きました。同じ溶岩ドームの新山と比較して、高さや大きさが全く引けを取らないのです。おおよそ直径300m、高さ60m。鍋森ドームと新山ドームはほぼ同じです。新山ドームが大きく見えるのは荒神ヶ岳の上げ底があるからですね。

 国土地理院の資料によると、前鍋と東鍋を含めて「鍋森溶岩ドーム」としています。そういう見方からすると、鍋森溶岩ドームは、大きさや高さにおいて新山溶岩ドームをはるかに凌いでいることになります。鍋森、侮ることなかれです。

 千畳ヶ原から見上げると、奇妙な風景が広がっています。東鍋の斜面に、多くの窓が開いたような植生の欠落があります。どうしてこんなことになっているのか不思議でなりません。しかも、年々増えているように思います。

千畳ヶ原から見る鍋森

 

鳥海山ー山歩き雑感ー

11、万助小舎の水場

 万助小舎の裏手にある水場には、年中枯れることなく清流が流れています。

 最近まで、この水場はここで水が湧き出している、と思い込んでいました。小舎から千畳ヶ原を目指して登って行った時、道の左から水場に流れこむ沢音が聞こえてきました。水場にはどこからか沢水が流れ込んでいたのです。小舎から50mくらい登山道を登ると沢音がフッ!と消えたので、この付近が湧水点だと分かったのですが、辺りは密生した灌木帯なので、この時は確認を諦めました。

 湧水点を確認することが出来たのはその年の晩秋です。疑問に思ったことはどんな誹りを受けようと解決するまで追求してしまう悪い癖があり、自分で持て余しています。水場に流れ込む沢を50mほど遡ると、苔むした岩が積み重なった奥から水がコンコンと湧き出ています。小舎の流しに水を引くためのパイプラインがありました。

湧水点

 万助小舎の水場は真冬でも凍結することなく、雪堀の労力を厭わなければ美味しい水を得ることが出来るので大変助かります。雪を解かすための燃料の節約にもなります。

 若い頃の思い出ですが、水場の脇の岩の上に置いた中判カメラが、水を汲んでいるうちにドボンと言う音を立てて水没してしまいました。一晩乾かしたら、その時は作動したのですが一週間後に動かなくなりました。

晩秋の万助小舎

鳥海山ー山歩き雑感ー

10、アキアカネ

 夏山を歩いていて、まとわりつくブヨに閉口することがよくあります。大群に襲われると、カメラのレンズのに群がる姿をファインダーを通して見てしまうことだってあるくらいです。防虫スプレーを「これでも食らえ!」とばかりに噴射してもあまり効果は期待できません。ブヨに刺されると(ブヨは齧る)我慢できない痒みばかりではなく、大きく腫れてしまう人もいますので要注意です。ブヨの幼虫は清流にしか住めない昆虫で、水質の指標昆虫とされています。きれいな水の流れる所はは特にあぶないということですね。無慈悲に人の血を吸うブヨは、水が汚染されているかどうかを見極める良い面もあるのだ、と言われても安易に存在を認めるわけにはいきません。そんな嫌われ者のブヨですが、時々フッといなくなる時があります。そんな時、周囲を見るとアキアカネが大群で飛んでいることが多くあります。アキアカネはブヨを一網打尽に食べてしまいます。

アキアカネに襲われる?ツァー登山

 オニヤンマが、捕まえたアキアカネを頭からガツガツ音を立てて食べているのを見たことがあります。食物連鎖あるいは弱肉強食ということでしょうか。

群れ飛ぶアキアカネ

 アキアカネの群れがどうして高い山に登って来るのか調べてみると、アキアカネは気温が30度を越えると生きることができない昆虫だったのです。初夏に平地で羽化したアキアカネは、気温が上がり始めると山を登り始めます。夏の間は高い山で過ごし、気温が下がる秋口になると下山を始め、平地に戻り繁殖します。

 大群で山を飛び回るアキアカネは夏山の風物詩です。

長坂道にて

 

 

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9、「岩峰」に載る巨岩

文珠岳から見た西鳥海の峰々

長坂道T字分岐から見た岩峰


 麓の遊佐町白井新田から登って来る長坂道があります。登山口の山ノ神から標高差約1300mを登り、たどり着いた笙ヶ岳一峰から二峰、三峰、岩峰と三つのピークを経て御浜に到達する長大な尾根道です。「岩峰」は御浜と笙ヶ岳の中間に位置することから以前は「中岳」とも言われていました。登山道は「岩峰」のピークを踏まずに南から巻いて通過します。ピークを見上げると、今にも崩れ落ちそうな頭上の巨岩に驚きます。これが近年になって「岩峰」と言われるようになった理由でしょう。

 周囲にニッコウキスゲが咲いていて穏やかな風景のようですが、見る方向を変えると、急斜面に辛うじて止まっている巨岩の様子が分かります。。

 斜面に引っ掛かている岩は、冷えた時に亀裂が入ったと思われる溶岩塊で、花が開く寸前のような形で、いずれパカッ!と行きそうです。付近には崩れ落ちたとみられる岩が転がっています。登山者はまさか自分が通る時に崩れるはずはないと思っているのか、平然と岩の下の通過して行くのです。私も同じです。まれに、自然は人間の都合に合わせてはくれない、などと頭の片隅で考えてしまったら大変。突然早足になってしまいます。

 この岩がピークを外れた急斜面に引っ掛かっていることが不安の種になっています。なぜこのような岩が「岩峰」に載っているのか不思議で、いろいろ調べて見たのですが何も分かりません。長坂道の尾根には冬期に巨大な雪庇ができます。雪が斜面を動く時に働く力は相当なものです。鳥海湖に向かう斜面に設置された木道が数年の間に壊れてしまったことがそれを証明しています。同じように、「岩峰」の斜面に載る巨岩も雪の圧力で下方に強く引っ張られていることは確かです。

鳥海山ー山歩き雑感ー

8、御田ヶ原に広がる階段砂礫

 

秋の御田ヶ原と山頂

 

 御田ヶ原を前景にした鳥海山は大好きな風景で、ここを訪れた時は四季を問わずシャッターを押します。なだらかな尾根いっぱいに広がる階段砂礫が、不思議な風景を見せてくれます。礫地が細長い段々を造る地形は周氷河地形と言われていますが、風の作用も大きな成因とされています。平坦な部分の礫地には植生がありません。この一帯は強風地帯で冬期の積雪が非常に少ないために寒気の影響を受けやすく、礫地に含まれる水分は凍結と融解を繰り返します。その度に礫が動き植物はなかなか着床できません。礫はふるいにかけられたように動き、環状砂礫や線状砂礫を形成します。これらは周氷河現象と言われています。細長い礫地には稀にチョウカイフスマが咲き、礫地以外の傾斜部分はハクサンイチゲミヤマキンバイ、ミヤマトウキ、オクキタアザミなどが咲く草付きになっています。

チョウカイフスマ

ハクサンイチゲの咲く頃

霧氷の御田ヶ原

階段砂礫と月山森

 

 双耳峰の姿で聳える新山と七高山、それと対照的に階段砂礫が広がるおおらかな御田ヶ原。それらが四季折々に見せてくれる山岳風景は本当に素晴らしいと思います。

鳥海山ー山歩き雑感ー

7、七高山溶岩

雪の消えた大雪路から見上げた七高山

 矢島口の登山道を登っていて見上げる七高山は個性的な姿をしています。目立つのは山頂に厚手の被せ物のように乗る岩盤と切れ落ちた断崖です。山頂直下の舎利坂まで登ると、いよいよ断崖が目前に圧し迫ってきます。

康新道寄りから見た

 遠く祓川から目視可能なこの断崖はいったいなんだろうと思っていました。舎利坂を登っていて、七高山山頂の下を見ると2枚の重なった溶岩流がありました。北峰の断崖はこの溶岩流とつながっています。断崖は、七高山にかぶさる最上部の溶岩の末端壁でした。

舎利坂から見上げる

溶岩流

 息を切らせながら急な舎利坂を登り、七高山を越えて外輪の尾根を下り振り返りました。そこから見る七高山は、東鳥海馬蹄形カルデラ壁に溶岩の層を露わにした険しい姿です。

カルデラ壁を聳てる七高山

ここで見るカルデラ壁は、約2500年前に起きたと言われる山体崩壊によってできました。この時の崩壊物は象潟の日本海に達し、流れ山は海に浮かぶ多くの小島になりました。1689年に象潟を訪れた松を芭蕉がこの風景を見て「松島は笑うがごとく象潟はうらむがごとし・・」と奥の細道に残したことはあまりにも有名です。山体崩壊が起きる直前は、高さが2600m位の富士山のような高山であったと言われています。

 

 新山から、溶岩成層(溶岩と砕屑物が交互に積み重なる)が顕著な七高山西壁を見てみました。数枚の溶岩の層が噴火の回数を物語っています。これらの溶岩は七高山溶岩と言われていて、東鳥海火山体を形成しました。北峰のすぐ左にある尾根の切れ目が舎利坂で見た断崖に相当します。

カルデラ壁を西側(新山)から見た

 矢島口の登山道から見上げた七高山溶岩とカルデラ壁に見る溶岩を、関連付けることはできないだろうかと思い、地形図上に記入してみました。

この溶岩の重なりは科学的根拠の無い勝手な想像です。

鳥海山ー山歩き雑感ー

6、小砂川堰

 鉾立展望台で落差100mと言われる白糸ノ滝を眺め、奈曽渓谷沿いの尾根道を登りました。尾根渡りで小さな尾根を東側に乗越し、白糸川左岸の道を進みます。沢音を聞きながら傾斜を増した石の階段を登ると賽ノ河原です。多くの登山者が荷を下ろして休憩していました。ふと斜面を見上げると鳥海山の山中に相応しいとは思えない石垣が見えました。

水路を補強した石垣 目地にモルタルが施工されている

 ここを水場として利用した若い頃を思い出します。水路を流れる水で顔を洗い喉を潤しポリタンに水を詰めた時代がありました。今は水質の問題などで飲料に使う人はいません。夏の終わりごろには賽ノ河原を流れる小川の水は枯れてしまいますが、水路には流れとは言えないほどの水溜まり(雨水かもしれません)があり、喜んで使いました。

 ここに上げた写真は7月中に撮影したもので、河原宿に多くの残雪があり、そのために流れる水は豊富です。
 次に水路がどのように設置されているかを地形図上に概略で記入してみました。

 水路が尾根を越えた後、どのような経路で小砂川に引かれているのかは確認していません。 

 白糸川を流れる水は、鉾立展望台から見える白糸ノ滝となって奈曽川に合流して横岡に流れています。一方、河原宿の下流(賽の河原の上流)で取水された水は水路を流れ尾根を越えて小砂川に流れます。歴史資料を調べてみると、この水路を舞台にした苛烈な水利争いがあったようです。

 冬の間、強い北西風が吹く鳥海山は偏東積雪が顕著な山です。つまり山の東側や尾根の東側に多く雪が積もります。賽ノ河原や河原宿の西にある尾根は小さな盛り上がり程度に過ぎないのですが、尾根を境に積雪量は大きく違います。稲作が行われる夏に山麓の集落が利用できる水の量は、鳥海山の積雪量に左右されます。鳥海山の西側に位置する小砂川集落に住む人々は、宿命的とも言える水不足に悩まされてきました。それを解消する手段として賽の河原に水路を造りました。これに異を唱えたのは、奈曽川の水に頼ってきた横岡集落の人々です。そして鳥海山の標高1500m付近で、堰を掘る、堰を埋める行為が明治27年から20年間繰り返されました。大正3年、横岡に大溜池を造り、その費用を小砂川集落が負担することで覚書を交わし和解が成立しました。

 それにしても、水不足を解消しようとした小砂川集落の人たちの想像力や行動力のすごさには驚きを覚えます。水源を求めて鳥海山の山中を歩き回り、白糸川の流れをを分流して尾根を越える水路を造ることで小砂川方面に水を流す。横岡集落からの訴訟を招いたことはさておき、水路をトウトウと流れる水を見るたびに感動が甦ります。

今もトウトウと流れる雪解け水

 

 

 

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5、外輪の尾根に転がる大岩

 背後の雲海が彩を添える七高山を眺めながらひと休み。山頂に多くの登山者が集う賑やかな夏山風景が広がっています。鋭鋒の七高山ピークに、周囲の岩とは明らかに異質な巨岩が目につきました。今にも落下しそうに断崖に引っ掛かっています。その手前にも同じような明るい色の岩が転がっていました。

賑わう七高山

 外輪山を下る途中、これまでは何とも思わなかった大岩が気になって仕方がありません。この岩も周囲の赤茶けた溶岩塊と明らかに異質です。

外輪の尾根道

外輪の尾根上の巨岩

 鳥海山の岩は全て安山岩と言われています。外輪の尾根は、赤茶けた溶岩の塊やそれが風化したスコリア(火山灰や火山礫)で構成されています。噴出した後に火山ガスが抜けて、その後風化して脆くなった溶岩塊がほとんどです。

七高山に続く外輪の尾根

 外輪の稜線上に、周囲の溶岩塊と異質な岩は意外に多く見られます。この灰色でいかにも固そうな岩はどこから来たのだろう?外輪の尾根が浸食されて現れた、または壁が崩れて転がった、など色々可能性はありますが、外輪の上に載った姿から、どこからか飛んできたと考えるのが妥当ではないかと思いました。こんな大岩がどこから飛んで来るのかと言えば「新山」しかありません。

 溶岩を噴出した噴火で一番新しいのは1801年の新山溶岩ドームが形成された大噴火です。その噴火を外輪山で目撃した遊佐町石辻の阿部政吉さんが書いた記録が、昭和48年発行の「飽海郡誌」に掲載されていました。

 亨和元年(1801年)三月八日

 ・・・山嶽鳴動して只眞闇暗二成て「グワラ グワラ」と降る大石小石雨霰玉の如く七高山の半腹二落散・・・

 ・・・享和元年7月13日は所謂大焼、最も猛烈に極ム。コノトキ新山噴出ス。故に新山ハ一名享和嶽トイフ。・・・

新山溶岩ドーム

 新山溶岩ドームは極めて粘性の高い溶岩の噴出により形成されました。噴出した溶岩や火山弾は、ガスの放出が少なく流動性の低い塊状であり、現在見ることが出来るそのままの形に近かったと思われます。

 外輪山に登り、新山を見るたびに「グワラ グワラ」が聞こえてきます。

 

鳥海山ー山歩き雑感ー

4、東鳥海馬蹄形カルデラ内を流れた溶岩

康新道から稲倉岳を望む

 康新道から西に見えるのは切り立つ東壁を顕わにした稲倉岳です。稲倉岳東壁と足元から切れ落ちる断崖は東鳥海馬蹄形カルデラ壁の一部であり、二つの壁に挟まれたカルデラの底には溶岩流が見えます。溶岩は冷え固まっているのに、今も動いているような迫力を感じさせます。無秩序に流れ下っている溶岩流の中に不思議な地形がありました。その形は、見方によっては大きな梯子を思わせます。鳥海山の昔話に登場する巨大な妖怪「手長足長」が掛けたハシゴかもしれません。

写真2 獅子ヶ鼻溶岩流

 鳥海山は溶岩の山と言われています。火山灰や火山礫の噴出が少なく、溶岩の流れが地表近くに明瞭に現れていて火山活動の解明に役立っていると言われています。斜面の至る所に見られる火山活動の痕跡を探しながら歩くのも大きな楽しみだと思います。

写真1 外輪山から見た荒神ヶ岳溶岩流

火山用語解説

・溶岩堤防 溶岩流の側面は、流れの中心より早く冷えて中心部分より高くなり、堤         

      防のように盛り上がる。

・溶岩しわ 溶岩流のたわみがそのまま固まった。流れの方向と直交するものを言う。

 

鳥海山ー山歩き雑感ー

3、千畳ヶ原湧水

 8月上旬、御浜から鳥海湖をかすめて千畳ヶ原に下りました。木道を歩き、取り囲む周囲の峰々を見渡しながら夏の爽やかな草原を彷徨う計画です。T字分岐で一休みした後、幸治郎沢に向かい、沢の登り口で、ここに咲くミソガワソウと咲き始めのチョウジギクを見ることができました。T字分岐に戻り、次は二ノ滝口の木道を下ります。庄内平野まで続くような木道を下り、右側に小さな池塘のある辺りで笙ヶ岳を見上げ、来た道をのんびり戻りました。

ミソガワソウ

チョウジギク


 道の左の方から沢音が聞こえてきました。見ると尾根の窪みから水が流れていました。「水が尾根から流れ出ている?これは湧水に違いない。大発見だ!」と早とちりしてしまいました。下山して文献を調べると「千畳ヶ原湧水」についての記述がありました。ガッカリです。

二ノ滝道の左に湧水源があった(奥は鍋森)

 登山道を外れて湧水源に近づくことはできないので、後日、望遠レンズで撮影しました。

湧水点

 秋になっても変わらない水量であることが、湧水の証になると考えてもう一度訪れて撮影しました。

 尾根から湧き出す湧水、と言えば大平口の「とよ」を思い出します。残念なことに、「とよ」は水の流れを見ることができなくなりました。以前は勢いよく水が流れていました。尾根状に盛り上がった溶岩流に樋のような穴が空いていてそこから水が湧き出ことから「とよ」と呼ばれている、と教えられました。

 西鳥海火山の崩壊カルデラの底に当たる千畳ヶ原は、文珠岳付近を越えて流れ込んだ溶岩で形成された溶岩台地の上に出来た湿原であると言われています。「千畳ヶ原湧水」は尾根状に盛り上がった溶岩流に空いた穴が湧水源であると想像できます。

 

鳥海山ー山歩き雑感ー

2、スノーブリッジを渡るツキノワグマ

 鳥海山の山中を歩いていて、ツキノワグマを目撃したことは何度かあったのですが、この日まで撮影したことはありません。突然至近距離で出会うのでなければ撮影したい気持ちは大いにありました。

 この日、早朝に滝ノ小屋を通過して、わずかに残雪を残す白糸ノ滝を目指しました。コバイケイソウが咲いていて、澄郷沢に架かるスノーブリッジから微かにガスが上がり、朝の爽やかさを感じながら登って行きました。滝の前まで登って、やせ細ったスノーブリッジと音を立てて落ちる白糸ノ滝をカメラに収めました。この時、沢の左岸にいたツキノワグマに全く気が付きませんでした。

コバイケイソウの咲く斜面を白糸ノ滝に向かって登る

雪渓と白糸ノ滝

 

 カメラを縦位置にかえてファインダーを覗いていた時、何か黒いものが視界に飛び込んできました。それがツキノワグマと気が付くまで数秒かかったと思います。夢中で数枚シャッターを切りました。我に返った時、ツキノワグマは今にも崩れ落ちそうな雪渓を渡り対岸の草むらに座り込み、雪解け後に芽生えた若草をムシャムシャ食べていました。

スノーブリッジを渡る

渡り終えたツキノワグマ

 カメラのファインダーを通して見た印象では小グマとしか思えなかったのですが、対岸に渡って若草を食べている姿は大きな成獣でした。距離は30mほど、大きな滝の音で人の存在に気が付いてないかもしれないからと、手を叩いたりホイッスルを鳴らしたりしました。ツキノワグマは食べるのを止めて「うるさいやつだなー」とでも言うようにこっちを睨みつけ、斜面を登って行って見えなくなりました。

 下山してから写真を見返すと、クマの着ぐるみを着た人間がスノーブリッジを渡っているように見えます。それにしても、ツキノワグマが薄くなったスノーブリッジを渡れると判断した理由はいったい・・・。それとも単純に、結果が崩れなかっただけと思ってもいいのだろうか。なんとも不思議です。

鳥海山ー山歩き雑感ー

 四季を問わず鳥海山を彷徨い歩いています。写真撮影を主な目的にしているためカメラのファインダーを通しての狭い視野にもかかわらず、登る度に鳥海山から新鮮な感動をもらってきました。振り返ると、鳥海山の地形、気象、動植物などが醸し出す多くの現象に戸惑いながら、その時の山歩きを楽しんできたように思います。山を歩きながら「不思議や謎」に遭遇ことは楽しみであり次の山行への励みになりました。

 

1、「扇子森」の名前の由来は?

 扇子森は鳥海湖を囲む鳥ノ海火口の外輪上の1759mのピークです。ピークの南西に鳥ノ海火口の火口壁に噴出した熔岩ドームがあり、この付近も合わせて「扇子森」と呼ばれています。「森」は普通こんもりした盛り上がりを言うのは分かるのですが、「扇子」が何を意味するか分かりませんでした。

御浜から見た扇子森

鳥海湖から見上げた扇子森

月山森から見た扇子森

 ある年の3月下旬、鍋森に立って地形図を片手に周囲を見渡しました。鳥海湖を挟んで扇子森を見た時、「扇子」が何を言っているのか分かったような気がしました。

鍋森から見た扇子森

 私の想像は、あくまで地形図を見たことから始まりました。この想像が正しいのか、もっと他のことが隠されているのか。もしも鳥海山の地形図が確定する以前から「扇子」が認識されていたとすると、昔の人の想像力にはかなわないものがあると思いました。