鳥海山ー山歩き雑感ー
6、小砂川堰
鉾立展望台で落差100mと言われる白糸ノ滝を眺め、奈曽渓谷沿いの尾根道を登りました。尾根渡りで小さな尾根を東側に乗越し、白糸川左岸の道を進みます。沢音を聞きながら傾斜を増した石の階段を登ると賽ノ河原です。多くの登山者が荷を下ろして休憩していました。ふと斜面を見上げると鳥海山の山中に相応しいとは思えない石垣が見えました。
ここを水場として利用した若い頃を思い出します。水路を流れる水で顔を洗い喉を潤しポリタンに水を詰めた時代がありました。今は水質の問題などで飲料に使う人はいません。夏の終わりごろには賽ノ河原を流れる小川の水は枯れてしまいますが、水路には流れとは言えないほどの水溜まり(雨水かもしれません)があり、喜んで使いました。
ここに上げた写真は7月中に撮影したもので、河原宿に多くの残雪があり、そのために流れる水は豊富です。
次に水路がどのように設置されているかを地形図上に概略で記入してみました。
水路が尾根を越えた後、どのような経路で小砂川に引かれているのかは確認していません。
白糸川を流れる水は、鉾立展望台から見える白糸ノ滝となって奈曽川に合流して横岡に流れています。一方、河原宿の下流(賽の河原の上流)で取水された水は水路を流れ尾根を越えて小砂川に流れます。歴史資料を調べてみると、この水路を舞台にした苛烈な水利争いがあったようです。
冬の間、強い北西風が吹く鳥海山は偏東積雪が顕著な山です。つまり山の東側や尾根の東側に多く雪が積もります。賽ノ河原や河原宿の西にある尾根は小さな盛り上がり程度に過ぎないのですが、尾根を境に積雪量は大きく違います。稲作が行われる夏に山麓の集落が利用できる水の量は、鳥海山の積雪量に左右されます。鳥海山の西側に位置する小砂川集落に住む人々は、宿命的とも言える水不足に悩まされてきました。それを解消する手段として賽の河原に水路を造りました。これに異を唱えたのは、奈曽川の水に頼ってきた横岡集落の人々です。そして鳥海山の標高1500m付近で、堰を掘る、堰を埋める行為が明治27年から20年間繰り返されました。大正3年、横岡に大溜池を造り、その費用を小砂川集落が負担することで覚書を交わし和解が成立しました。
それにしても、水不足を解消しようとした小砂川集落の人たちの想像力や行動力のすごさには驚きを覚えます。水源を求めて鳥海山の山中を歩き回り、白糸川の流れをを分流して尾根を越える水路を造ることで小砂川方面に水を流す。横岡集落からの訴訟を招いたことはさておき、水路をトウトウと流れる水を見るたびに感動が甦ります。