鳥海山ー山歩き雑感ー
7、七高山溶岩
矢島口の登山道を登っていて見上げる七高山は個性的な姿をしています。目立つのは山頂に厚手の被せ物のように乗る岩盤と切れ落ちた断崖です。山頂直下の舎利坂まで登ると、いよいよ断崖が目前に圧し迫ってきます。
遠く祓川から目視可能なこの断崖はいったいなんだろうと思っていました。舎利坂を登っていて、七高山山頂の下を見ると2枚の重なった溶岩流がありました。北峰の断崖はこの溶岩流とつながっています。断崖は、七高山にかぶさる最上部の溶岩の末端壁でした。
息を切らせながら急な舎利坂を登り、七高山を越えて外輪の尾根を下り振り返りました。そこから見る七高山は、東鳥海馬蹄形カルデラ壁に溶岩の層を露わにした険しい姿です。
ここで見るカルデラ壁は、約2500年前に起きたと言われる山体崩壊によってできました。この時の崩壊物は象潟の日本海に達し、流れ山は海に浮かぶ多くの小島になりました。1689年に象潟を訪れた松を芭蕉がこの風景を見て「松島は笑うがごとく象潟はうらむがごとし・・」と奥の細道に残したことはあまりにも有名です。山体崩壊が起きる直前は、高さが2600m位の富士山のような高山であったと言われています。
新山から、溶岩成層(溶岩と砕屑物が交互に積み重なる)が顕著な七高山西壁を見てみました。数枚の溶岩の層が噴火の回数を物語っています。これらの溶岩は七高山溶岩と言われていて、東鳥海火山体を形成しました。北峰のすぐ左にある尾根の切れ目が舎利坂で見た断崖に相当します。
矢島口の登山道から見上げた七高山溶岩とカルデラ壁に見る溶岩を、関連付けることはできないだろうかと思い、地形図上に記入してみました。
この溶岩の重なりは科学的根拠の無い勝手な想像です。