テントを背負って登った雪の鳥海山

4、1970~80年代のテント山行を回想する

 4月上旬、駒止めを出発して御浜に登った。扇子森を越えて、溶岩ドームとの鞍部にテントを張る。夕方から西風が強まり吹雪が始まった。強風に押され突風に拉げるテントに一晩中はらはらしながらやり過ごした朝、奇跡的に風が止み青空が広がった。急いでテントを撤収して、新雪で美しく着飾った峰々を眺めながら外輪を登った。

 

 

・奈曽渓谷

 5月下旬、堰堤が次々に現れる奈曽川を遡り、白糸川の合流点の付近から残雪の上を登る。濃霧で現在地がはっきりしないまま雪上にテントを張った。霧が晴れて見えた周囲の状況に驚く。テント場は、周囲を岩壁で囲まれた谷のドン詰まりだった。

 翌日、稲倉岳の肩に突き上げる崩壊したルンゼを登った。

稲倉岳から残雪模様の新山北面を望み、その後、蟻ノ戸渡を越えて御浜経由で下山した。

 

・中島台

 4月中旬、林道終点の横岡第2発電所から歩き始める。春の陽気の中、中島台の広大な雪原を歩き、標高1400m付近の山頂を望む雪原にテントを張った。あまりの穏やかさに、風よけブロックを積むことを怠ってしまった。

  

 まさか吹くはずがないと思っていた風が夜半から吹き始める。油断大敵とはこのことだ。強い東風が地吹雪を伴ってテントを揺らした。朝になって、思い切って外に出てみると、地吹雪は雪面から1.5m位の高さで目線より下を吹いている。風は次第に止み、地吹雪も収まった。これに気を良くして山頂を目指すことにした。

 

・祓川から大雪路

 強い寒波が少し和らいできた2月下旬。花立から車道沿いに、スキー履いて登った。寒気と吹雪と深い雪に登り続ける気力を失い、駒の王子の手前にテントを張る。翌日も吹雪は続いた。深いラッセルに意欲を失い、わずかに進んだブナ林に再びテントを張る。

 祓川ヒュッテに着いたのは3日目の午後。凍り付いた冬期の入り口をこじ開けて中に入った。

 風が収まったのは4日目。朝から青空がのぞいた。アイゼンを履いて七つ釜を越え、風紋が広がる大雪路を登る。この頃から雪がちらつき、再び風が強くなってきた。登行を断念してヒュッテに戻った。

 下山日の5日目。皮肉にも朝から晴天が広がった。山頂を振り返りながら下山の途についた。

 

・ 残雪の大雪路

 4月下旬、スキーを履いて祓川を出発した。濃霧の中、ルートに悩みながら登ると、御田を過ぎた辺りから雲一つない青空が広がった。雲の上に出たようだ。下には視界を塞ぐように雲海が広がっていた。大雪路の真ん中にテントを設営して、付近を散策する。数日前に寒気が入ったために、頂稜は冬の装いを取り戻したようだ。

 翌日も晴天が続いていた。のんびりテントを畳んで下山することにした。上に登ることは全く考えなかった。雪上のテント生活を満喫することで目的を達成できたと思う。ヘタクソなスキーを滑らせて下山した。

 

国土地理院五万分の一地形図を使用しました。