追憶の山紀行

大朝日岳 2

 熊越の鞍部を過ぎて緩やかに登って行くと、道の両脇にヒメサユリが多くなった。銀玉水の手前の平坦な登山道はヒメサユリロードと言っても良いくらいだ。蕾が多く、これからもっと咲くのだろう。花の形や色の濃淡には個体差があり、見とれているうちに時間が過ぎて行く。急に雨が落ちてきて我に返った。

                   ヒメサユリロード

 

                  登山道を飾るイワハゼ

 

 間もなく雨雲は去って行った。銀玉水で水を補給して、その先の急な雪渓を登る。木の階段が組まれた急坂を登り切ると花崗岩に囲まれた朝日嶽神社奥の院花崗岩砂の風衝帯にヒナウスユキソウが咲いていた。

               ヒナウスユキソウとイワカガミ

 

                咲き誇るヒナウスユキソウ

 

 避難小屋に荷物を置き、重荷から解放されて大朝日岳山頂に向かう。道の西側斜面にはヒナウスユキソウとイワカガミが競うように咲いていた。

 

             雲が流れて以東岳が見えてきた

 

              ヒナウスユキソウの群落と祝瓶山

                             (2015年6月下旬)

 

 

 

             

 

 

追憶の山紀行

大朝日岳 1

 梅雨が本格的になる少し前、朝日連峰の稜線にヒメサユリが咲く。朝日連峰には数多く足を運んでいるが、ヒメサユリを見たことがなかった。思い出すのは、4日間雨にたたられ、投げやりな気分で下った飯豊のダイグラ尾根。咲いていた一輪のヒメサユリからしばらく目を離すことが出来ず、透き通るような清楚な花とその立ち姿に、落ち込み荒んだ心を救われた気がした。この時はまだ、ヒメサユリという名前さえ知らなかった。

 小朝日から大朝日に続く稜線にヒメサユリが咲き始めたという情報を得て、古寺口から、大朝日避難小屋泊りの一泊二日の山行を計画した。

 ブナ林の登りに汗をかき古寺山に立った。2か月ぶりの大朝日岳との対面だ。すっかり雪が消えて緑が爽やかに広がっている。登山者が多いのは、おそらくヒメサユリを見ようという人達だろう。

              古寺山から見る小朝日岳大朝日岳             

 

                   中岳と西朝日岳

           古寺山と小朝日岳の鞍部に咲いていたヒメサユリ

 

                  群れ咲くシラネアオイ

 

                    ズダヤクシュ 

 

                   サラサドウダン                   

 

                 小朝日岳の南壁に咲く

                  

                  雲に隠れた大朝日岳

                             (2015年6月下旬)
            



 

追憶の山紀行

朝日岳 2

 テントに赤い光が射してきて目が覚める。外に出ると、朝焼けが始まっていた。北に月山が見える。ブナの立木を通して見る古寺山も赤く染まった。

                   テント場の夜明け

 

                    黎明の月山

 テントをその場に残して最小限の荷物を背負い、昨日の自分のトレースをたどる。踏み跡は凍っていて、アイゼンを履いた。古寺山が朝日に輝いている。

                 朝日が当たる古寺山

 安定した天気の下、のんびり古寺山を越えた。ズタズタに亀裂が入った小朝日の雪庇の尾根が目の前に迫ってきた。慎重に鞍部を越えて、亀裂を避けながら登り小朝日のピークに立った。

                 雪庇を連ねた小朝日岳

 

             左から、大朝日岳、中岳、西朝日岳 

 朝日連峰の主稜から外れて位置する小朝日岳は、連峰の展望がすばらしい。連なる山々を見渡していると、大朝日岳の左側に飯豊連峰が見えていることに気が付いた。飯豊連峰は時間と共に霞が取れてはっきり見えて来る。霞の中から吾妻連峰も姿を現した。御影森山の向うには栂峰の山塊。北には以東岳や障子ヶ岳に連なる連峰と月山が見えていた。

                  大朝日岳と飯豊連峰

 

                    飯豊連峰

                     

             置賜葉山の上に吾妻連峰が見えてきた

 

              御影森山と遠くに霞む栂峰の山塊

 

 雪を踏む足音に振り向くと、一人の若者が登ってきた。サクラマス孵化場に車を止めて暗いうちに出発したと言う。時計を見ると9時を過ぎたばかり。日帰りの軽装で登る、ということはこういうことなんだな~と妙に感心してしまった。彼は熊越に向かって下って行ったかと思う間もなく、大朝日岳に続く尾根に姿が見えた。

 若者の力強い歩みに気圧されて大朝日岳に向かう気持ちが消えた。山を眺めながら、山での時間を過ごすことが出来ればそれでいいと常日頃思っている。それは単に、自分の体力の無さに対する言い訳かもしれない、などと思いながら大朝日を振り返った。テントに戻り荷物をまとめて、緩んだ雪に足を滑らせながら登ってきた踏み跡をたどり下山した。

         古寺山とハナヌキ峰の鞍部の芽吹きを前にしたブナ林

                            (2015年4月下旬)








 

追憶の山紀行

朝日岳 1

 混み合うゴールデンウィークの前に残雪の朝日連峰を見たい、と思い車を走らせる。道路状況を問い合わせてみると、古寺集落まで除雪が進んでいるらしい。その先の、古寺鉱泉までの林道については不明のまま。未明の大井沢を通り抜け、地蔵峠から古寺集落まで雪の壁に挟まれた狭い道を進んだ。県営サクラマス孵化場T字路から古寺林道が除雪されていたので進入してみると途中で除雪車が道をを塞いでいた。除雪はここまで。サクラマス孵化場に戻り、車を置いて歩く。この時期の朝日連峰は、いつもアプローチに苦労する。

 古寺鉱泉駐車場に着き、荷物を下ろして朝陽館までの道を見ると、小沢が落ちてくるところの桟道の上に今にも崩れそうな残雪が載っていた。左から大きく高巻いて行けるかもしれないと、駐車場の壁を登りその上の台地に出る。沢が出ていて、薄いスノーブリッジは見るからに危ない。高巻きは諦めて、桟道を進むことにした。下には、古寺川の雪解け水で増水した激流が流れている。落ちるわけにはいかない。それにしても、雪の残り方が危なっかしく、冷や汗をかきながら何とか通過した。古寺川の橋を渡り朝陽館で荷物を下ろしてひと息つく。連休に備えて準備に来ていたご主人に話してみると、「昨日来た時よりずっと危なくなっているかも知れない。除雪しようと思ったけど忙しくて手が回らなかった。通る人の自己責任にまかせるしかないね~」と言っていた。

               開業準備に忙しい朝陽館

 朝陽館のご主人が「登山道はあっちだから」と見送ってくれた。小屋の裏手に回り残雪の急坂を登る。汗を拭きながらブナ林を急登、尾根に出ると雪が消えていて登山道が現れた。ゴヨウマツの巨木が立ち並ぶ尾根を、まとわりつくブヨを払いながら進む。ふたたび道は残雪の下。ブナ林の尾根を登り、ハナヌキ峰の手前の鞍部にテントを張った。

                 芽吹きが始まったブナ

 

               ハナヌキ峰の下のテント場

 雪を整地してテントを張り安堵する。ここまで時間がかかったが、まだ昼を過ぎたばかり。気が付くと天気は回復して、雲一つない青空が広がった。古寺山まで行ってみることにした。

                テントから古寺山が見える

 ハナヌキ峰のピークはブナの中で展望が効かない。古寺山との鞍部まで雪が消えて登山道が出ていた。古寺山の登りは残雪を踏む登り。雪面を蹴り込んでステップを刻み、一歩一歩登った。上部には雪庇を張り出した大きな尾根が立ちはだかる。アイゼンを履いて雪庇の切れ間から這い上がり、稜線に出た。帰りの目印にブナの枝に赤布を結ぶ。古寺山のピークまで、朝日連峰の展望を欲しいままに稜線歩きを楽しんだ。

                    大朝日岳

 

           雪庇を張り出した小朝日岳と奥に大朝日岳

 

                   輝く中岳

 

             西朝日岳 ピークには新雪の雪庇

 テントに戻り、のんびり食事を済ませる。夕日は春かすみで期待外れ。満天の星が夜空を飾り明日の好天を伝えていた。

*現在、朝陽館は営業を終えて、新たに大江町朝日連峰古寺案内センターが開設された。

 

 


 

追憶の山紀行

湯殿山

 凍結した月山道を越えて志津に向かった。弓張平に着くと月山、姥ヶ岳、湯殿山、三つの白い山が見えた。湯殿山に、西から黒い雲が流れているのが気になる。志津の温泉街を抜けた先の除雪終点に車を止めた。

 旧六十里街道の入り口でスキーを履き、石跳川の橋を渡り右岸のブナ林を進む。雪に埋もれた自然博物園の建物を対岸に見て、右の尾根に張り出した雪庇の下を歩く。適当な所から雪庇を越え、ブナ林が広がる雪原に上がった。朝に見た湯殿山の雲はすっかり消えた。姥ヶ岳もきれいに見える。

                 霧氷が輝くブナ林を行く

 

       湯殿山1500m 山頂から右に落ちる尾根が目指す南東尾根

 

                   姥ヶ岳

 

 ブナの森林限界が見えてくると、南東尾根の急斜面が始まる。斜面はアイスバーンに薄っすら新雪が載った状態。未熟なスキー技術ではアイスバーンに対応できず、足かせになるスキーをデポすることにした。アイゼンに履き替え身軽になりアイスバーンの急斜面を登った。登るにつれて、西に摩耶山が見えた。振り返ると朝日連峰が輝いていた。

                 摩耶山が見えた

 

        朝日連峰の展望 手前は石見堂岳から赤見堂岳に連なる尾根

 

             姥ヶ岳中腹のブナに霧氷が付いていた

 

 石跳川を隔てて姥ヶ岳が大きく見えてくる。山頂に立つと360度の眺望が広がった。ようやく、姥ヶ岳の上に月山の山頂が見えた。風雪に刻まれた姥ヶ岳の山肌は強烈で、何やら怖い印象がある。遠くには真っ白な鳥海山が見えていた。

                    姥ヶ岳

 

            山頂に広がる風紋の向うに月山が現れた

         手前から 湯殿山北峰 姥ヶ岳 品倉尾根 月山

 

                遠く雲海に浮かぶ鳥海山

 

 春を思わせる陽光は暖かく感じられた。しかし、風は肌を突き刺すような冷たさで吹き付ける。眺望を楽しませてくれた山頂に別れを告げて往路を下山した。

                             (2013年3月中旬)

追憶の山紀行

森吉山

 雪が降る阿仁ゴンドラ山頂駅を出て身支度を整えた。歩き始めようとしたらスキー場の責任者が現れて、「ここから先は立ち入り禁止です」と言う。付近には立ち入り禁止の大きな看板があった。「私たちは遠い山形から来ています。何とかお目こぼしを・・・」。訴えたのだが、聞き入れてくれる様子は全くない。その時、場内放送が流れて責任者が呼ばれた。「今だ!行こう」と、4人のメンバーが雪を漕いで駆け上がった。いつもはグダグダ言っている仲間だが、こんな時はやたら行動が早い。あっという間に尾根に上がり、石森のピークを目指す。ホワイトアウトで視界が無い中、それらしき所の雪を踏み固めてテントを張った。雪が激しく降っていても、テントに落ち着けばすぐに始まるのが酒盛り。不都合なことはみんな忘れた。

 翌朝、「晴れてるぞ!」という声で、外に出て初めて周囲の様子が分かった。ここは確かに石森のピークのようだ。樹氷原が広がり、なだらかな森吉山の山頂が見える。北に見える一ノ腰が朝日に赤く焼けた。南の樹氷原の向こうには、去年登った秋田駒が見える。雲一つない快晴の空の下ではメンバー全員がにわかカメラマンだ。

                 朝焼けの一ノ腰 

 

            樹氷原の向こうに秋田駒ヶ岳が見えた

 

                 朝日が差す樹氷原 

 

 テントに戻り朝食後、身支度を整え山頂に向けて出発しようとしたその時、ヘリコプターの爆音が轟いた。低空飛行でテントの上を旋回して去って行くヘリの横腹に「秋田県警」の文字が見えた。

 しばらく呆然と声も出なかった。「今のはナニ?」。おそらくスキー場の責任者から、無謀な登山者がいると県警に通報があり、無届登山者の無事を確認して戻ったのだろう。本当のことは何も分からない。(当時は、スキー場から上は危険区域になっていた。時代が変わって現在は、観光宣伝が行き届き樹氷目当ての観光客が押し寄せているらしい。天候によっては、今でも危険地帯に変わりはないと思うのだが。)

 爽やかに広がった青空の下、不都合なことは瞬く間に忘れて山頂に向かった。

 

                             (1988年2月下旬)

                       *地形図は国土地理院提供

追憶の山紀行

秋田駒ヶ岳

 田沢湖スキー場の第三リフトを下りて、シールを着けて歩き始めた。雲が多いものの時々青空が見える。ここしばらく寒波は弱く、山もさほど雪は積もっていない。リフトから少し登るとすぐに森林限界だ。スキーヤーから見えない位置にテントを張った。雲に隠れていた田沢湖が姿を見せて夕日に輝いた。

                 眼下に田沢湖を望む 

 

 朝から雲が広がっている。男岳はガスの中。このルートは男岳を越えることが出来るかどうかがポイントだ。男岳の東側は断崖で大きな雪庇を張り出していると予想される。男岳で視界が利くかどうかで進退を決めなければならない。その時に対応できるようにテントはデポすることにした。スキーも置いていく。アイゼンを履いて出発した。ガスの中、リッジ状の痩せ尾根を登り男岳に着いた。雪庇に注意して南北に細長い山頂を北の端まで進む。しばらく待つと周囲が明るくなり、周囲が見えてきた。雪庇の無い下降点から東に向かい、横岳に続く尾根を下った。鞍部から阿弥陀池に下り、横岳の裾を東に進み阿弥陀池小屋に着く。小屋の中は、吹き込んだ雪で氷の御殿の様相だ。

 極寒の夜を耐えて朝が明けた。ガスが流れて男岳や女目岳が朝日に染まっている。一人は女目岳に登って行った。もう一人は惰眠を貪っている。

                 朝日が差す横岳と月

 

                雪原の向こうの岩手山

 

                  朝焼けの男岳

                女目岳と阿弥陀池小屋

 

 起きてこなかった仲間が、いつの間にか外に出てカメラを構えていた。簡単に朝食を済ませ、荷物をまとめて小屋を出た。広大な雪原の阿弥陀池を歩き、横岳と男岳の鞍部に上がる。昨日は見えなかった女岳や小岳、その向こうに和賀岳の姿があった。

              女岳とその向こうの和賀岳

 

 雪庇を見上げながら男岳を登る。その男岳の雪庇の無い部分を昨日は降りてきた。ここは視界が無ければ下降点を見出すのが難しく、降雪のあとは雪崩の危険もある。何事もなくてよかった、という思いで男岳を越えた。

                横岳を背に男岳を登る

 

 テントに戻り荷物をまとめてスキー場を下る。私は大きなスコップをザックに括り付けている。ゲレンデはコブだらけの急なアイスバーン。転ぶたびに背中のスコップが大きな音を立てた。しばらくして、一緒に滑っていたはずの仲間の姿が見えないことに気が付いた。重荷で振られながら何度も転び、ようやく無事に滑り降りた。仲間がかなり遅れて降りてきた。「大きな音を立てて転ぶ姿を見たリフトの上の若いスキーヤーがみんなクスクス笑っていた。そんな変態登山者と仲間か、と思われるのは恥ずかしい。スキーを背負ってゲレンデ脇の樹林帯を下ってきた。」と言う。薄情な奴らめ・・・

                          (1987年2月下旬)

                           *地形図は国土地理院提供

追憶の山紀行

月山草光台 (1986年2月23~26日)

 地形図を開いて厳冬の月山に迫る登高ルートを探した。羽黒口から弥陀ヶ原、あるいは櫛引から雨告山を経由しての行程はあまりにも遠い。湯殿山スキー場を出発点にして品倉尾根を登るのが最短かもしれない。しかし、品倉尾根は地形図からも予想されるナイフリッジ、雪庇、雪崩などの不安要素が多い。よく見ると、品倉尾根の北に、濁沢を挟んで不明瞭な尾根があった。天保堰の取水口の付近で濁沢を渡ると、この尾根に取り付くことが出来そうだ。濁沢から一段上がった平坦地は「草光台」と言わていて、根曲がり筍の採取地になっているらしい。ここにテントを設営して、品倉尾根とのジャンクション1619mピークを目標にする。ルートファインディングが難しそうだが、3泊4日の山行を計画した。

 冬型の気圧配置が続いていた。天気予報によるとそろそろ寒気は底を突き、数日後には冬型が緩むことを伝えている。雪が舞う湯殿山スキー場からリフトを乗り継いで出発した。スキーを履き、仲間と交代で平坦な雪原をラッセルした。明日、後続の二人が合流の予定だ。見え隠れする品倉山を目指し、壁のような急斜面の裾を巻いて進むと、えぐれたような濁沢が現れた。天保堰の取水口の上部で対岸に渡り、小さな尾根に取り付く。直線的に延びる尾根を登り、ブナの疎林が広がる草光台に出た。ふわふわの雪を時間をかけて踏み固めてテントを張る。雪は止むことを知らず、夜になってさらに激しく降り続く。2時間交代でテントの周りの雪かきをした。

 翌朝も雪は降り続き、停滞を決めた。食料を食いつぶし、雪かきで外に出るたびに雪まみれになった。除雪した雪が、テントの周りに次第に積み重ねられていく。風もなくシンシンと降る雪に言いようのない恐怖を覚えた。今日来るはずの二人は、夕方になっても到着しない。この場所は、スキー場からそれほど離れているわけではないのに、降りしきる雪は孤独感を強めてくれる。今夜も雪かきが続く。

                 雪に埋まるテント

 

 翌朝、後続の二人が到着してひと安心。スキー場は、積雪のためリフトが運休。駐車場からすぐに腰まで埋まるラッセルが始まり、夕方が迫る中、濁沢を越えた辺りの尾根の陰に雪洞を掘りビバークしたという。とりあえず無事でよかった。

 雪は降り続き、周りに積まれた雪はテントを越える高さになり、4人が入るテントの底は結露で水浸しだ。エアーマットの上だけが居場所。油断すると、靴下やシュラフを濡らすことになる。湿度が高いテント内は霞んでいた。外は極寒、中は地獄。言葉はグチしか出ない。

 次の朝、二人は下山した。交代で残った仲間と二人で行ける所まで、と決めて身支度をした。スキーを履いて膝まで埋まる雪を漕いで100mも進んだだろうか。草光台の先の斜面に進むと胸まで埋まる。撤退を決めてテントに戻った。

      積雪ですっかり様子が変わってしまった草光台のブナ林を進む

 

 降り続いた雪が午後になって止む気配を見せた。明日は行動できるかも知れないと、期待を込めて書いたラジオ天気図は日本海に低気圧の発生を伝えていた。南風が吹き、気温が上がると身動きが出来なくなる。下山を決めてテントを撤収、荷物をまとめて逃げるように下山を始めたのは夕方の5時。腐り始めた雪にスキー操作が難航し、ナイター照明が残るスキー場にたどり着いたのは夜の9時を過ぎていた。

 

月山草光台 (3月26~28日)

 居心地の良くないテントでの停滞に終始した2月の山行から1か月が過ぎた。草光台や周囲の様子を一度も見ることが出来なかった悔しさがあった。雪が落ち着き、移動性高気圧が晴天をもたらすようになった湯殿山スキー場に戻ってきた。

 青空が広がり、爽やかな早春の風が吹いていた。目前に立ち塞がる品倉山の裾を巻いて濁沢を越える。

              彼方に湯ノ沢連峰が連なる

 

       草光台にテントを設営 背後に品倉尾根上のピークが見える

 

 雪は安定していてシールが良く効いた。のんびり早春の山を眺めて過ごす。ひと月前とは大違いで、テント生活を楽しむ余裕があった。夕方までの時間、尾根に出て1302mのピークまで行く。目指す1619mジャンクションピークが見えた。

         稜線はクラストしていてワカンでは歩きにくい 

 

 翌朝、青空が広がっているが、上部は風が強そうだ。アイゼンを履いて出発する。尾根に上がると、品倉尾根とのジャンクションピークが陽光に輝いていた。

       濁沢の上に1619mピークが輝いている 右に見えるのは金姥

 1302mのピークに差し掛かった時、にわかに風雪が始まった。北に延びる尾根の陰に雪洞を掘ってやり過ごす。30分ほどで、吹雪が去って青空が戻ってきたのを見て、1479mピークに向かう。ピークを越えると1619mピークの左に月山本峰が見えた。やっと目にした月山は、人を寄せ付けない氷雪の要塞のように見えた。

           月山を望みながら1619mピークに向かう

 

 右から吹きつける風が、時々突風を伴うようになった。登高をここで打ち切り下山することにした。

               暮れ行く濁沢と品倉尾根

 

              残照の中をテントに下山する

                         *地形図は国土地理院提供